授乳期・産後に手根管症候群が長引く本当の理由
出産後、しばらくしてから多くの母親を悩ませる症状がある。
・指先がしびれる
・親指から中指にかけて違和感が続く
・夜中や明け方に激しい痛みで目が覚める
医療機関では「手根管症候群」と診断され、その原因として「手首の使いすぎ」「ホルモンバランスの変化」「育児による負担」などが説明されることが多い。確かに、これらは発症の“きっかけ”にはなり得る。
しかし、それだけでは
「なぜ産後に集中して起こるのか」
「なぜ左右差が出るのか」
「なぜ安静にしても改善しない例があるのか」
といった疑問に、十分に答えられているとは言い難い。
アールカイロでは、この問題を手首の局所トラブルとしては捉えない。
本質的な原因は、手首そのものではなく、神経の使われ方の偏りにあると考えている。
第6胸椎を境にした神経機能の切り替え
評価の軸として重視しているのが、第6胸椎を境とした神経バランスである。
第6胸椎は単なる背骨の一部ではなく、身体の役割を切り替える神経学的な「スイッチング・ポイント」として機能している。
第6胸椎より上の役割
司る部位:上肢(腕・手)、体幹上部、呼吸補助筋
主な機能:細かい作業、前屈姿勢、手の緻密な操作
第6胸椎より下の役割
司る部位:下肢(脚)、抗重力筋、姿勢の安定
主な機能:直立、歩行、全身の動的安定
本来、人の身体は「下半身で安定を確保し、その土台の上で上半身を自由に動かす」構造になっている。
しかし、授乳期特有の生活環境は、この健全なバランスを少しずつ崩していく。
授乳期に起こる「神経の偏り」のメカニズム
授乳期の生活を神経の視点で整理すると、以下の要素が重なっている。
・長時間の前屈姿勢(授乳・おむつ替え)
・抱っこによる胸郭の圧迫
・睡眠不足による交感神経の過緊張
・外出や歩行量の低下による下肢刺激の減少
これらが続くと、身体はT6より上の神経系ばかりが働き、下が使われない状態に固定されていく。
下肢からの安定情報が脳に届かなくなると、脳は現状を「不安定で危険」と判断する。
その結果、不足した安定感を補うため、上半身の緊張をさらに強める指令が出される。
首、肩、腕、そして手首。
手首に現れる痛みやしびれは、全身のアンバランスが末端に集約された結果であり、原因ではない。
手首は“問題の場所”ではなく、犠牲になっている場所なのである。
「姿勢が悪い」のではなく「神経が選択肢を失っている」
授乳中の姿勢は「猫背」「前かがみ」と指摘されることが多い。
しかし、重要なのは見た目の姿勢ではない。
問題の本質は、神経が「他の使い方を選べなくなっている」ことにある。
本来、身体は動作ごとに使う筋肉や神経を自然に切り替える柔軟性を持っている。
ところが、呼吸の浅さや下半身の不使用が慢性化すると、神経は切り替え能力を失い、前屈・上肢優位という一つのパターンに固執する。
これは意識や努力の問題ではなく、神経が生存戦略として「その使い方しか残っていない」状態である。
夜間に悪化する理由は「情報不足」
手根管症候群の特徴として、夜間や明け方に症状が強まることが挙げられる。
これをホルモン変化やむくみだけで説明するのは十分ではない。
夜間は身体の動きが止まり、下肢からの感覚入力が途絶える。
呼吸も浅くなり、脳に届く情報量が極端に減少する時間帯となる。
神経系は、入力情報が少なくなると、生命を守るために感度を最大限まで引き上げる。
夜間にしびれが強くなるのは「休んでいるから」ではなく、神経が情報不足に陥り、過敏に反応している結果である。
アールカイロが「強く揉まない」理由
授乳期の神経系は、すでに防御モードに入っている。
この状態で強いマッサージや無理な矯正を行えば、神経はさらなる脅威と認識し、防御反応を強めてしまう。
そのため、アールカイロでは次の三点に介入を絞る。
・神経が受け取れる範囲内の刺激
・胸郭の圧迫を逃がすためのスペース確保
・下肢からの適切な感覚入力の再開
結果として、手首にほとんど触れなくても、呼吸が深まり、しびれが軽減する例は少なくない。
これは偶然ではなく、脳に「下半身は安定している」「上半身は緊張を緩めても安全である」という情報が再学習された結果である。
「頑張らない」ことが回復の近道になる
授乳期の母親は、すでに十分すぎるほど負荷を背負っている。
そこに「正しい姿勢」「もっと鍛える」といった努力を重ねることは、神経を追い詰める場合がある。
今必要なのは努力ではなく、神経が回復できる余白を取り戻すことだ。
・短時間の歩行で足裏から脳へ刺激を送る
・呼吸を妨げない身体の配置を知る
・「安静=横になる」という固定観念を手放す
それだけで、神経の反応は変わり始める。
手根管症候群は、育児のせいでも自己管理不足でもない。
身体全体の使い方の偏りが、たまたま「手」という形で表に出ているだけである。
局所だけを追いかけるのではなく、全身のバランスと神経の多様性を取り戻すこと。
それが、痛みやしびれから抜け出すための、もっとも現実的で再現性のある道筋である。
