ダブルクラッシュとリバース・ダブルクラッシュ
手や足のしびれが、いつまでも続いている。
病院へ行き、検査も受け、専門的な説明も聞いた。
それでも、どこか納得しきれない感覚が心の隅に残っている。
「神経の通り道が狭くなっていますね」
「年齢的な変化ですから、うまく付き合っていきましょう」
理由としては十分に理解できる。
画像を見れば、そこには確かに変形や狭窄といった“変化”が映っている。
科学的な根拠を示されれば、納得せざるを得ない。
それでも、自分自身の身体の感覚だけが、その説明から置き去りにされているように感じる。
こうした違和感を抱えたまま、出口の見えない日常を送り続けている人は、決して少なくない。
説明が「間違っている」とは限らない
最初に整理しておきたいのは、
「病院での診断や説明がすべて間違っている」という話をしたいわけではない、という点である。
画像診断において、骨の変形や椎間板の突出が見られることは事実だ。
神経の通り道が物理的に狭くなっているケースも、確かに存在する。
現代医学は、構造的な異常を見つけることにおいて非常に優れている。
ただし問題は、
その説明が、今あなたが感じているしびれや違和感を十分に説明しきれているか、という点にある。
構造上の説明は合っている。
けれど、自分の感覚とは一致しない。
この微細なズレが、医療の現場では見過ごされがちである。
身体は「生きているシステム」であり、
ハードウェア(構造)だけでは語りきれない揺らぎを常に含んでいるからだ。
しびれの出方は、もっと曖昧である
実際のしびれは、医学の教科書通りに整然と現れることは稀である。
多くの人が経験しているのは、もっと捉えどころのない感覚だ。
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日によって強さがまったく違う
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朝と夜で感覚の質が変わる
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しびれている場所が移動する
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手なのか、腕なのか、足先なのか境界が曖昧
こうした訴えは「主観的で不確か」と扱われることもあるが、決して珍しいものではない。
そして、この曖昧さは
「原因が分からない」という絶望を意味するものではない。
むしろそれは、
局所的な構造の問題だけではなく、身体全体の状態や流れが影響している
という重要なサインであることが多い。
神経は一本ずつ独立していない
手足のしびれを考えるうえで、決定的に見落とされやすい前提がある。
神経は、電線のように一本ずつ独立して働いているわけではない。
首から出た神経は、肩を通り、脇を抜け、肘を越え、指先へと向かう。
その過程で他の神経と合流し、網目状に絡み合い、また分かれていく。
ある一点だけを切り取って問題を定義しようとすると、
身体という有機的なシステムの全体像を見失いやすくなる。
ダブルクラッシュという視点
ここで注目したいのが、ダブルクラッシュという考え方である。
これは、
神経の通り道の一か所だけでなく、
複数の部位で小さなストレスが重なることで症状が表に出てくる
という視点だ。
首や体幹側で、神経の働きがわずかに低下している。
それ自体では症状として現れない程度の変化であっても、
その先にある肘や手首で日常的な負担が加わると、状況は変わる。
重要なのは、これが
「二か所で物理的に挟まれている」という単純な話ではない、という点である。
神経には、栄養や情報を運ぶ“流れ”がある。
上流でその流れが滞ると、末端の神経は弱った状態になる。
その結果、これまで問題にならなかった程度の刺激でも、
しびれや違和感として表面化してくる。
逆方向も起こりうる ― リバース・ダブルクラッシュ
もう一つ、見逃されやすいのが
リバース・ダブルクラッシュという現象である。
これは、手先や足先といった末端の状態が悪くなることで、
その影響が時間差で首や体幹側へと波及していく、という考え方だ。
現代の生活では、指先や足裏を酷使しない日はない。
その負担が慢性化すれば、神経全体の働きは徐々に乱れていく。
その結果、
首そのものに明確な異常が見つからなくても、
首や肩の緊張、背中の張り、取れないしびれが残ることがある。
なぜ「ここだけ治しても戻る」のか
「手だけをケアしても、しばらくすると元に戻る」
「足を整えたら、今度は腰や背中が気になりだした」
こうした経験を持つ人は多い。
症状という“火の手”が上がっている場所だけを追い続けても、
神経ネットワーク全体の状態が変わっていなければ、
身体は別の場所でバランスを取ろうとする。
問題は場所ではなく、
流れと連動性にある。
身体の感覚は、意外と正確である
説明を受けても納得できない。
治療を受けても腑に落ちない。
それは、わがままでも気のせいでもない。
多くの場合、
身体の感覚のほうが、画像や言葉より先に現実を捉えている。
しびれは、0か100かで割り切れるものではない。
グラデーションの中で変化し続けている。
手足のしびれが治らないとき、
原因を一つに決めてしまうと、見えなくなるものがある。
しびれは、
身体が長年積み重ねてきた負担の結果として、
ようやく表に出てきたサインかもしれない。
どこが悪いか、という犯人探しではなく、
自分の身体がどうつながり、どう補い合い、
今どのような状態で踏ん張っているのか。
その視点を持つだけで、
これまで説明できなかった違和感が、
少しずつ整理されていくことがある。
答えを急ぐ必要はない。
まずは、自分の身体の声に立ち止まってみる。
その選択が、
次に進むための準備になることもある。
