「病院では『歳のせいですね』と言われたんですが、どこか納得できなくて」
「手や足がピリピリする感じが続いていて」
「朝や夜、じっとしているときほど違和感が気になる」
「年齢のせいだと言われたけれど、このままでいいのか不安で」
こうした言葉から、相談が始まることは少なくない。
検査では大きな異常は見つからない。
それでも、身体の感覚だけが以前と違う——。
その違和感を「もう歳だから仕方ない」と片づけてしまって、本当にいいのだろうか。
身体は「筋力」だけで動いているわけではない
動きにくくなると、真っ先に思い浮かぶのは筋力低下である。
確かに筋肉は大切だが、実際の身体の動きは
「筋肉が強いか弱いか」だけで決まっているわけではない。
立つ、歩く、手を伸ばす、姿勢を保つ。
こうした動作の裏では、
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どの筋肉を使うか
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どの筋肉を休ませるか
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どの順番で力を入れるか
といった細かな調整が、常に行われている。
この調整を担っているのが神経である。
問題は「力が足りない」ことではない
年齢とともに増えてくる不調の多くは、
「力が出ない」ことよりも、
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余計な力が抜けない
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本来休むべき筋肉が緊張したまま
という状態から始まっている。
例えば、
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肩や首がいつも力んでいる
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手首が自然に曲がったまま戻らない
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太ももやふくらはぎが常に張っている
こうした状態は、筋肉が弱いから起きているのではない。
力を抜くためのブレーキがうまく働いていないのである。
「硬くなった」の正体は、ブレーキの不調である
筋肉が硬くなると、「緊張が上がった」と言われる。
だが身体の中では、
アクセルは踏まれたまま、
ブレーキが効いていない。
という状態が起きている。
その結果、筋肉は休めず、
動きは重く、ぎこちなくなる。
これは老化現象ではない。
調整の問題である。
「歳のせい」にされやすい日常動作の正体
例えば、次のような経験はないだろうか。
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椅子から立ち上がるとき、一呼吸置かないと動けない
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歩き出しの一歩目が不安定になる
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靴下を履く動作が前よりやりづらい
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洗濯物を干すと、肩や肘がすぐ重だるくなる
これらは「筋力が落ちた」から起きているとは限らない。
多くの場合、次の動きに切り替えるための準備が遅れているだけである。
身体は本来、動作の前に無意識で
姿勢や筋緊張を整える「予備動作」を行っている。
この準備がうまくいかないと、
動きは一瞬止まり、遅れ、重く感じられる。
それをまとめて「歳のせい」と呼んでいるにすぎない。
なぜ「歳のせい」と言われると、どこか納得してしまうのか
「歳のせいですね」と言われたとき、多くの人は強く反論しない。
それは、その言葉が説明というよりも、結論として提示されるからである。
原因や仕組みを細かく聞かされるよりも、
「誰にでも起こること」
「自然な変化」
とまとめられると、それ以上考える必要がなくなる。
しかし、その瞬間に見落とされるものがある。
それが変化のスピードと左右差である。
数年かけて少しずつ変わったのか。
それとも、ここ数週間〜数か月で急に変わったのか。
右と左で、動きや感覚に差があるのか。
これらはすべて、
「単なる加齢」では説明できない重要な情報である。
にもかかわらず、
「歳のせい」という言葉は、
それらの違いを一瞬で消してしまう。
だからこそ、違和感が残る。
納得したはずなのに、どこか腑に落ちない。
その感覚は、気のせいではない。
身体は、理由のない変化を起こさない。
理由が見つかっていないだけである。
腱鞘炎や手根管症候群も「使いすぎ」だけではない
手首や指の痛みを訴えると、
「使いすぎですね」と言われることが多い。
しかし、同じ作業をしていても
痛くなる人と、ならない人がいるのはなぜか。
そこには、
筋肉を使う・休める切り替えを担う神経の働きが関係している。
切り替えがうまくいかない状態が続くと、
一部の筋肉だけが働き続け、
腱や神経に負担が集中する。
結果として痛みが出る。
これも歳のせいではない。
不安になるのは「理由がわからない」からである
「検査では異常なし」
「でも調子は確実に落ちている」
この状態が一番、人を不安にさせる。
理由がわからないまま
「様子を見ましょう」
「年齢的に仕方ありません」
と言われると、
身体より先に、気持ちが諦めに向かってしまう。
だが、身体は理由もなく不調を起こさない。
こんな項目に心当たりはないだろうか(セルフチェック)
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朝、動き出すまでに時間がかかる
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片側だけ痛みや違和感が出る
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何もしていないのに身体がこわばる
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動き始めが一番つらい
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「最近急に変わった」と感じる
一つでも当てはまるなら、
それは調整の問題である可能性が高い。
「それって本当に歳のせい?」
この問いを持つだけで、
身体の見方は大きく変わる。
衰えではなく、老化でもなく、
調整の乱れとして身体を見る。
身体は、まだできることを失っていない。
ただ、うまく使われていないだけである。
もし「歳だから仕方ない」と言われて、
どこか腑に落ちない感覚が残っているなら、
その違和感こそが、身体からのサインである。
アールカイロは、
そのサインを一緒に読み解く場所である。
